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校長記事‐根の深い木 1‐

カナダ・トロント ノースヨークセントラルアカデミー ブログ

中学生くらいになると今、自分がしている勉強は「何の役に立つのか?」と疑問を持ちます。例えば「日常生活では全く使わない三角関数をなぜ勉強しなければならないのですか」とか「宇宙なんて研究して、何の役に立つのですか?」「絵画なんて観て、何の役に立つのですか」といった具合です。

中学の数学が一体、実社会でどれほど役立つのかという生徒の問いに「問題を解く楽しさ」などで説得しようと試みる先生がいらっしゃるかもしれませんが、おそらく生徒は納得しません。

「コンビニに行って買い物をするのに連立方程式は使わない。」「足し算引き算掛け算割り算くらいしか実生活で使わない。学校で習ったことはほとんど役に立たない」と豪語する大人もいるくらいです。

学校は役に立つ知識や学問を教えてくれるところという誤解があるからそんな風に考えるのかもしれません。

しかし、学校は実用的な知識の教習所ではなく、人類が蓄積してきた知的財産を継承する場です。個々人が世の中に出てお金を稼ぐためのノウハウを指導するのが役割ではありませんし、各科目の指導は何に役立てるかを想定してなどいません。

数学は天才的な数学者によって積み上げられてきた膨大な体系を、要領よく現在に即した形で伝える役目があります。自分の理解力不足を棚に上げて、実生活で使わないから勉強しなくていいという中学生には、数学観を正してやれるのが数学教師の腕の見せ所です。問題を解く楽しさは数学の大きな魅力ですが、教師がその楽しさを伝えられないこともあります。

国語で学ぶ文学作品も解釈は人によって違って当たり前ですが、先達が議論と検討を加えて到達した一つの結論は、知的な資産として尊重されるべきものです。「私はこのようにしか解釈できない」と言い募る生徒には読み込みの浅さを丁寧に納得のいくように教えてやれば良いでしょう。

目的や有用性という観点から考えると、哲学や文学を始めとする文系の学問は、あまり実際的な目的がなく、社会生活の中で何かの役に立つということが少ないように思われがちです。 

中学校は社会生活を営む上での素養を身につける場、その時代に欠かせない共通の知識ベースを得る期間と定義すれば、すぐには役に立たない学問も意味を持ちます。

子どもたちにとっては「これを知りたい!」という強い好奇心によって自ら動くほうがずっと粘り強く、結果的に本人の意思とは関係ないところで「役に立つ」ようになっていくのかもしれません。

ガリレオもコペルニクスもケプラーも宇宙旅行の実用化を目的に研究した訳ではなかったでしょうね。

NYCAは子どもたちと正面から向き合うことを心がけていきたいと考えています。腕の見せ所です。