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校長記事‐根の深い木 2‐

カナダ・トロント ノースヨークセントラルアカデミー ブログ

学校で勉強していることが、経済的に役に立つとか立たないとかを言い出すと、哲学や文学のような文系の学問は、実用的な知識が身に付いたという感覚が持ちにくいのではないでしょうか。

逆に、数学とか物理が役に立つと感じられない人もいるかもしれません。いずれ何かの役に立つのだろうと感じる人もいるでしょうし、「役に立っている」という実感がないだけで、十分にその恩恵を被っていることもあるでしょう。

明確に言えるのは、学校で勉強していることは教養として身につけていて損はないということです。地球が丸いことや自転していることも、夜が暗いのも夏が暑いのも、学んで教養として身についています。時差を知っていることや台風に備えることができるのは大きな恩恵です。体験して学ぶことができないことを教養として身につけられるのは素晴らしいことです。

あるいはジェットコースターに乗ったり、バンジージャンプができたりするのも教養として安全という概念があるからです。凄過ぎて役に立つとか立たないとかが、まるでわからないことだってあります。ニュートリノやIPS細胞が、どんな風に役に立つのか、大多数の人にとって実用性は実感できないと思います。

電車を動かしたり、飛行機を飛ばしたりするのにはきっと膨大な計算が必要なのだろうなと想像できるのも教養そのものです。大多数の人にとって学校の勉強は教養にとどまるのかもしれません。

でも、誰かが実用性につなげるところまでたどり着けてくれるから、たくさんの人がその恩恵を受けることができます。誰が実用性につなげてくれるかわからないから、学校でみんなに等しく教えるのではないでしょうか。