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校長記事‐根の深い木 9‐

カナダ・トロント ノースヨークセントラルアカデミー ブログ

2018年度現在、日本には768の大学があります。

「大学はこんなに要らない」「大学が増えすぎて学生の質が下がった」「競争によって質を上げるべきだ」・・・・

このような主張は、随分前からあります。

 

本来は大学が多くてもそれぞれが入試のハードルを下げなければ、少なくとも入学段階での「質の低下」は起きません。

質を確保し、大学として高い評価を得れば、より多くの学生を集めることにつながっていくはずです。

ただし、現実的にはこうした「方針」というか「戦術」は経営上のリスクにもなります。

募集力を高めなくてはならないという経営的な課題に多くの私立大学が対応した結果、ハードルをいかに下げるかという手法が広がり、学力低下という事態に至ったとも考えられますから。

 

理論的には、数を減らして、質を上げることは難しくはないでしょうが、数を減らして、淘汰を生き延びた少数の入学困難な大学の入学者だけでは「日本の大学生の平均学力」は上がったことにはなりません。

また、本当に学力低下を懸念するとしたら、大学の数を減らすというのは「4年間の学習機会を減らす」ということですから矛盾していることになります。

 

大学設置基準緩和により、大学の数は1988年の480校から6割増え、30%台だった大学進学率は60%近くにまで増加しました。

これまで大学入試を突破出来なかった層も「大学生になった」ということでしょう。

加えて18歳人口の減少もあり、定員割れの大学が続出し、大学が多いということが「質の低下」という議論を招きました。

 

では、本当に大学の数を減らすことが誰かのためになるのでしょうか。日本にとって良いことなのでしょうか。

大学全入時代に、いろいろな大学があってもいいように思います。

4年間の学生生活のうちに、何かをきっかけとして大変身する学生が現れるかもしれません。

 

学力の伸長は、教育を受ける時間の長さと相関します。

大学が増えたことで、18歳以上の学習機会は増え、全体の学力は底上げされて行くはずです。

2020年教育改革も高大接続改革として期待されます。

 

職業教育的な要素の強い「就職に強い大学」が増加するのも良いと思いますし、国家の将来を担う人材を輩出することを使命とする大学も必要です。

一般論として「大学は多すぎる」という主張に賛同しても、親は子に「お前は勉強できないのだから、大学行かずに働け」とは言えません。可能であるならなんとかして行かせてやりたいと考えるのが人情でしょうし、学歴が無意味と思っている親は、実はそれほどいないのではないでしょうか。

 

学歴問わず正規雇用と高賃金を約束すれば、「大学行くより働きたい」という若者は増えると思いますが、大多数の企業では結局のところ学歴がスクリーニングの手段にもなっています。

また、「エリート」という表現は、万人に受け入れられる表現ではないかもしれませんが、集団がどのような人物に指導されるべきなのかを考えたとき、『高潔で優秀な人』・・そのような人を「エリート」と表現するなら、やはりエリートは必要ですし、そういう人を育成する教育も必要です。

 

国の将来を考えたとき、優秀な学生をどのように教育するかは極めて重要な問題です。

そう考えると、ある特定の大学を卒業することが大きな意味を持つことは不思議ではありません。少なくともいくつかの大学は、日本の将来を担う人材を輩出することをその使命とすべきです。

 

「すべての大学で同じ教育が与えられるわけがない」ことは、皆分かっています。義務教育ではないのですから。

 

10月初旬に、経団連の中西宏明会長が「就活ルール」を廃止すると発表されましが、その際、記者から「大学生の本分である学業に支障をきたすのではないか」という質問に対し微笑みながら「私にはそのような実感がないなあ、あなたありますか?」という趣旨の回答をなさいました。「大学生」を一括りにした質問に対する回答として説得力があり、ある部分では痛快にも見えました。

 

この発言は決して大学での勉強の成果を評価しないということではないと思いました。

 

「大学の増加」→「少子化」→「優秀な学生の青田刈り」という見立てもできます。

また、就労人口の減少は、高度な知識社会化への対応や業種による採用難など課題を多岐に抱えます。そういう時代にこそ、それぞれの観点によって望ましい大学の特性というものがあるのはよいことだと思います。

 

今や大学をテーマにした議論は、百花斉放です。