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校長記事‐根の深い木 22‐

前回この場で、2018年の開成中学の入試問題(カニ弁当問題)に触れましたが、これをモデルとして、他の私立中学も2019年度以降、一斉に「思考力・判断力・表現力」を中心に評価する様々な出題がなされることでしょう。当然、私立中学への進学指導に日々情熱を傾けている進学塾教師もこの種の担当教科の枠を越えた教科横断型の問題に対応していくことが求められます。そして何より、これからの受験生は、自分の頭で考え、判断し、表現し、多様な人々と協働していくことを目標とした学習をしていく必要があります。それは、大学入試まで、要求されていくことがほぼ変わらない、主体性を重んじた学習スタイルのはずです。

ところで、今回の開成の「カニ弁当問題」では、廃棄ロスや機会損失といった言葉を知らなくても、読み解くことができる感性が必要でした。廃棄ロスを認めてでも機会損失に重きを置くのか完売を評価するのか。この感性を磨くにはマーケティングの知識を暗記するようなやり方では無理です。また、周りとの関係を絶って家庭の閉じられた世界の中で、与えられた教材と向き合い、限られた人と接することでも磨かれていきません。そういうスタイルの学習を続けても社会に出て通用しないどころか中学受験にすら太刀打ちできない時代に突入したということです。

この問題では、「表現に客観性を欠く部長」が登場しています。客観性を持つというのはとても難しいことです。しかし私は、単純に人間心理がわかるというようになっていくことが求められていると思いますし、それが生きる力の根幹となる人間性に繋がっていくのではないかと思っています。

目指すのは、多様な仲間と生き生きと課題解決に取り組み、自分たちの考えを伝えようとする姿。それが将来の真のエリート像です。

「相手の気持ちがわかるかどうか」、「それを意識した振る舞いや言動ができるか」、「今、相手は何を求めているのかを知りたいと思っているかどうか」が客観性です。「こういう言い方をしたら、相手はどう思うのか」「こういう態度をしたら、相手はどう思うのか」「こういうメールを送ったら、相手はどう思うのか」・・こういうことに「無神経」な人は成功できない時代なのではないかと思います。やはり、無神経な人は、他の人から応援されません。どれだけ専門力があったとしても、ビジネス能力が高くても、他人から応援されない人には限界があります。人1人ができることは限られているからです。