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宿題‐根の深い木 33‐

「宿題は終わったの?」と問うのが、勉強を終えたかどうかの確認になっているご家庭は多いと思います。私たち進学塾教師も「宿題の量」についての問い合わせをよく受けます。「多ければ負担」ですし、「なければ心配」です。

一斉指導では、担当するクラスの生徒たちに同じ宿題を与えますが、同じ量を30分で終える子もいれば1時間かかる子もいますから、負担感は個々に異なり「多いのか少ないのか」は一概には申し上げられません。また、同じ量であっても傍に人がいてくれる場合、その人が教えてくれる場合、塾の自習室などで周りに同じ宿題を頑張っている人がいる場合、たくさんの宿題が課される学校に通っている場合、そうでない場合、いくつものお稽古事を掛け持ちしている生徒の場合、そうでない場合、環境もスケジュールもいろいろです。習い事や学校の宿題や塾の宿題に多くの時間をとられるあまり、他のことをする時間がほとんどないという子どもがいるかもしれません。疲れている時もありますし、たとえ子どもでも気がかりなことを抱えている場合もあります。それでも子どもは勉強だけでなくスポーツや音楽でも親から期待されています。

毎朝6時半に起き、学校が夕方終わったら急いで帰宅しておやつや食事もそこそこに夜6時から9時まで塾で勉強して、宿題をやるのはやっとそれが終わってからという生活をしていても宿題をする姿を見ないと「うちでは全く勉強しない」ということになったりもします。

国際学習到達度調査PISAでトップクラスの常連であるフィンランドは、教育界では何かと比較対照の際に引き合いに出されます。「年間授業日数が、日本より少ない」「宿題がほとんどない」「統一テストがない」「夏休みが10週間以上」などと聞けば、その教育制度に関心が向きます。

しかし、フィンランドにはフィンランドの社会システム、カナダにはカナダの社会システム、日本には日本の社会システムがあります。また、何を大切にして学ぶかは国によって違います。

日本のように礼儀正しく、時間の約束に確かで、集団行動に優れ、整理整頓を身につけられる教育、それでいて学力は世界のトップクラス−もちろん謙虚にプロセスを省みることは重要ですが、不十分な現状認識で他国の方法論に飛びついたり導入したりしても、きっとあとが続きません。

 

宿題に話が戻りますが、『学びて時に之を習う。亦説ばしからずや』―論語の昔から正しい学習方法は復習型でした。そう考えれば現代もやはり宿題は絶対なのでしょうか。仮にそうだとしても宿題の是非や量を見極めるのは、とても難しいように思います。ご家庭が選択している子どものお稽古事のスケジュールや環境によっては宿題それ自体の存在意義を問い直すことが必要な時代なのかもしれません。代替となる活動をどうするかは、個々に異なるでしょうが、スケジュールが過酷で読書の時間もないというのは考えものです。子どものやる気、自主性を尊重した教育は理想ですし、私たちも授業の導入部分を工夫し、子どもたちが意欲的に興味関心を持って学習し、自ら考えるように仕向けたいと考えています。

ただ、現実は反復をしながらプロセスでフィードバックを行わなければ。成果は出ませんし、努力することなく結果を出す方法はありません。私たちも“板挟み”の中で子どもたちをよく観察して、最適な方法を考えて行きたいと思っています。