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物事の正しさ‐根の深い木 37‐

物事の「正しさ」には世代間格差がありますし、親の正しさが子どもの正しさではないこともあります。

親子が言い争った時、中学生以上になりますと場合によっては子どもの方が正しいこともあります。子どもの成長に伴って子どもが「全面的に間違っている」ということは、減ってきます。親の方が強い立場ですから、「方針」として理不尽に押し切ってしまうようなこともありえます。

昔は、どこの家にもその家庭特有の“憲法”みたいなものがあって(だいたい父親が決定権を持っていました)、食事時にテレビを見せてもらえないとか、必ず毎食牛乳を飲まなくてはならないとか、炭酸飲料とコーヒーは禁止とか、食生活以外でもお風呂の順番とか門限とか、お年玉は貯金するとか、ほかの家庭から見たら珍妙でしかないようなことさえも厳格に定められていました。家庭は世の中の理不尽を覚える“良い”場所だったのかもしれません。

一つの事柄について、何かを決定しなくてはならない時に親子の意見が違う理由にはそれぞれが「持っている情報が違う」ということもあります。この場合は、きちんとコミュニケーションを持つ必要があります。情報を更新しておかないと、自分のかつての「正しさ」にこだわった結果、滑稽でしかないこともあります。

また、時代により正しさが明確に変わることもあります。例えばスポーツの世界もそうです。水を飲むなとか、うさぎ跳びとか、試合中に笑顔を見せるなとか今となっては疑問に思われることもありますし、また、先輩の言うことは絶対で後輩は反論できないとか鉄拳制裁とか、子どもが封建制度の真似事をすると大抵良いことが起きません。屈服させるというのは、正しい考え方ではなくなっています。

立場上の力の差があるとき、上位者は相手が自分のいいなりになると思い込んでしまいます。日本の子どもたちを指導する人たちの中には、子どもがミスをしたり、言うとおりにできないと、罵声を浴びせたり、度を過ぎた叱り方をする人がいます。教えられたことを子どもができないとき、どうすればできるようになるかを、手本をしめしつつ根気よく教えることがベストであって、叱りつけることはほとんど無意味な行為です。「叱り方研修」ではなく、若い教師には「よくわかる指導法」の研修を優先するべきだと思います。これは古い正しさではなく元から間違った指導法だと私は思います。