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学而‐根の深い木 41‐

 

20年ほど前のものですが、浅田次郎さんがご自身の中学受験について書かれたものを読んで感じ入り、要約したものを保護者会で朗読したことがあります。仕事柄、折節に読み直すのですが、その要約文を引用します。

『学而』 浅田次郎

東京オリンピックの前年のことである。

私はどうしても私立中学を受験すると言い張って、貧しい母を困らせた。

生家は数年前に没落し、家族は離散していた。しばらく遠縁の家に預けられていた兄と私を、母はようやく引き取って、とにもかくにも六畳一間に三人の暮らしが始まったばかりであった。母はナイト・クラブのホステスをしていた。

学歴に対する過剰な信仰が始まったのは後年のことで、当時の私立中学は教育熱心な裕福な家庭の専有物であった。そして悲しいことに、余裕のある家庭の子女は明らかに学力が優っていた。

 

「いい家の子と一緒にやってゆくのは、おかあさんも大変だけれど、お前だって並大抵のことじゃない」と母は説諭したが、結局私のわがままを聞いてくれた。

 

さながら科挙の試験のごとく、一族郎党と家庭教師が花見のような弁当持ちで少年に付き添う試験場に、私はひとりで臨んだ。誤答はひとつもないという自信はあったのに、たぶん不合格だろうと思った。理不尽だと思いつつも、すべてをととのえて試験に臨む本物の選良たちには到底かなわない気がした。

 

アパートに戻ってその気持ちをありのままに伝えると、母は化粧をする手を止めてやおら鏡から向き直り、強い口調で私を叱った。

「おとうさんやおかあさんが試験を受けたわけじゃないんだ。おまえが誰にも負けるはずはないだろう」と言ってくれた。

 

合格発表の日、母は夜の仕度のまま私と学校へ行ってくれた。盛装の母は場ちがいな花のように美しかった。私の受験番号を見上げたまま、母は百合の花のように佇んで、いつまでも泣いていた。

 

それから、別室で販売されていた学用品を、山のように買ってくれた。小さな辞書には見向きもせず、広辞苑と、研究社の英和辞典と、大修館の中漢和を買い揃えてくれた。おかげで私はその後、吊り鞄のほかに三冊の大辞典を詰めたボストンバッグを提げて通学しなければならなかった。

 

学徒動員のさなか、学問をするかわりに飛行機を作っていた母は、私に何ひとつ教えることができなかった。三冊の辞書には言うに尽くせぬ思いがこめられていたのだろう。

 

紅葉の色づくころ、母が死んだ。

 

遺された書棚には私のすべての著作に並んで、小さな国語辞典と、ルーペが置かれていた。

あの日から、三冊の辞書を足場にしてひとり歩きを始めた私のあとを、母は小さな辞書とルーペを持って、そっとついてきてくれていた。

そんなことは、少しも知らなかった。

 

・・・というものです。

母親というのは限りなく愛情を注ぎながら一切の見返りを求めないものなのですね。人の情の極致ではないでしょうか。これ以外の人間関係はどこかギブアンドテイクです。

人より何かがうまくできた訳でもないのに「いい子」「いい子」と言ってくれる世の母親の言葉は薄っぺらくありません。母親は報われないことが多いものなのかもしれません。母親が風邪で寝込んで初めて家の中が真っ暗だと気づきます。