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不易流行 ‐根の深い木 45‐

  トロントでは、学校での授業に「プレゼン」が、すっかり定着しています。「プレゼンの準備で昨夜は徹夜だった」「パートナーが欠席して分担してあったパートも一人でプレゼンすることになった」など、「プレゼン」が日常語になっています。日本に限らずアクティブ・ラーニングの実践度は、高まっていますね。さらに、デジタルネイティブ世代の子どもたちは、情報機器を使いこなしてプレゼンしています。社会変化が高速化していく中で、この子どもたちは、時代が求めるスキルをきちんと吸収し、消化しているのだなあと感動します。プレゼンはビジネスの領域の言葉ではなくなっています。

この数年でアクティブ・ラーニング自体への認知や取り組みの姿勢が、教育の現場に浸透してきたことは間違いありません。

アクティブ・ラーニングは、決して新しい教育手法ではなく、グループワークや、意見を発表させたりすることで積極的な授業参加を促す工夫は、以前からありました。

2017年からの学習指導要領では、アクティブ・ラーニングという言葉ではなく、「主体的・対話的で深い学び」という表現になり、以来、日本の高校でもアクティブ・ラーニング型授業の実施状況は、着実に高まっているようです。もちろん、知識伝達の講義型授業が必要な部分も無視できませんから、どうバランスをとり、工夫できるかが重要です。子どもたちが、どのように学んでいくにしても、教える側が「どんな力を身につけていってほしいか」という、理想や考えを持つことが重要です。

ところで、教育の分野では、「不易流行」という言葉をよく使います。易の訓読みは「易わる(かわる)」ですから「不易」は「かわらず」と読みます。「流行」は「時代とともにかわること」ですから、「不易流行」はずっと変わらないことと時代とともに変わることは同じくらい大切、ということです。松尾芭蕉の言葉ですから教育について述べられたものではないでしょうし、私たちが「不易」を、「時代をこえて変わらないもの」と解釈するならば、その「時代」は中世とか、近代とか、かなり広い幅を指しての「時代」でなくてはなりません。その意味では情報は、「流行」です。また、陳腐化していくのは情報だけではありません。機器もそれを扱うスキルも頻繁に更新していかなくてはなりません。一方で、新しく掲げられる「自分の頭で考えること」、「課題を見つけること」、「主体的に判断すること」、「みんなで問題を解決すること」は、「流行」ではなく「不易」です。「他人とともに協調」し、「他人を思いやる心や感動する心」も、「豊かな人間性」も100年経っても200年経っても「不易」です。

教育改革は大きく「流行」の部分が拡張しているように思われていますが、実は今、変化に合わせなくてはならないのは機器や手段としてのアクティブラーニングやICTだけです。教育の分野は軽々に「不易流行」を語るべきではないように思います。