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流行 ‐根の深い木 47‐

 近年の帰国生入試の小論文で「ファッションの流行が作り出されていることについてどう考えるか」を問うものがありました。

私は、「流行は、来年はどうなるだろう」と見極めて作っているものだと思います。そして、ファッションは流行を作り出すものであり、作り出す側として「市場の一歩先、少なくとも半歩先を行かなくては」ならないように思います。

こういう問題に対して、流行を否定したり、ファッションをつまらないもののように捉えたりするのは、寂しい気がします。私には、流行や服装は小さなことに思えません。説得や交渉の場でも力関係に少なからず影響を及ぼすものだとさえ思っています。

日本には「流行」に熱狂的な時代がありました。今の若い人たちに「服をローンで買う」などという話をしてもピンとこないかもしれませんが1980年代もそういう時代でした。学生が、カードを作り、10万円以上もする洋服を「分割払い」で買っていました。借金までして流行の服を買う時代があったのです。

当時、日本は世界屈指の高級ブランドの消費市場でした。そして、日本のアパレルはほとんど内需型産業でしたから海外に出る必然性はありませんでした。まるで、元禄時代です。しかし、バブルが終わり、過剰消費に対する反省から低価格品を買うようになりました。国内は「超デフレ時代」に突入し、構造は変化し、あっという間に、日本のアパレル産業は低価格競争に陥りました。

それでも、消費の中心だった当時の若者にとって、服を一番たくさん買っていた青春時代の経験がベースになって、今の自分のファッションセンスがあるのではないかと思います。

センスの良い人、おしゃれな人は、かっこいいとかかっこ悪いとかで服を選びます。長持ちするかどうかで選んでいないと思います。そもそもいいものは心配しなくても長持ちするでしょうし、2,000円前後で買ったTシャツがおしゃれに見える人はその人の感性がおしゃれなんだと思います。たくさん買っていた頃に、いろいろな経験から学んだことがあるはずです。イタリアの商品は、すごく色がきれいで、生地も肌触りがよいこととか、“頑張っておしゃれしてきたように見えないように着る”こととか、靴、時計、ベルト、ハンカチ、靴下は、意外とチェックされているとか、細かなことに気づく力がついたのも、無謀な消費体験のリターンかもしれません。今、その体験が役に立っている人は少なくないように感じています。