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これを楽しむもの ‐根の深い木 50‐

「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

論語のこの一節は、いろんなことを当てはめて読むことができますが、教育に携わる者にとっては、やはり指導に活かす道に当てはめて読みたくなります。

教師は「教えることが楽しい」、生徒は「この勉強が楽しい」と言えることが一番です。

もちろん何を知るにしても楽しむにしても、面白味がわかるまでには辛抱もあります。例えば、大抵の人にとっては、ゴルフもピアノの演奏も楽しめるまでには、かなりのストレスがあるでしょうし、基礎練習はどんなものも退屈です。

初めは、教え手の言う通りにやってみて、徐々に上達して自学するようになりますが、教えられることに慣れ過ぎたり、押さえつけられたりして、自分で考えて実行する習慣が持てないと楽しめるようにはなりません。自分で組み立て、判断していくのは重要な習慣です。そうやって、いつかは教えてくれた人と同じレベルで熱く語り合えたら、どんどん楽しくなるでしょう。

さて最近、生徒たちと話していると“メンタル”という言葉が日常的になっていることに気づきます。現在では、トップアスリートだけではなく、大学や高校の部活などにもこの言葉は、広がっているようです。そして、特にスポーツの世界では指導が根底から変動しているように感じます。かつては「やる気はあるのか!」「気合だ!」などの根性論を指してメンタルが「強い」「弱い」と言っていました。試合前の怒号も一時的な高揚感として、短時間は効果を発揮するかもしれませんが、大切なのは継続的なモチベーションです。それが、“これを楽しむ者”だと思います。メンタルと言うのは辞書の訳はともかくとして思考そのものです。「プレッシャーを克服する」より先に「自分の力を伸ばしていく能力」に活かすことが大事です。「自信を持て」「やればできる」・・だけでは足りません。

「つまんないな、早く練習終わらないかな」「なんかやる気がでないな」と思う練習、授業では、当然、能力は身につきません。自分であれやこれやと思考するようになって初めて面白みが出てきます。教え手は、それに気づかせてやるのが仕事です。

「一時的と継続的」、「テンションとモチベーション」は、まったく違うものです。

指導者を必要としない一部の天才を除き、継続を可能にするのは、対話を繰り返し、面白味を上手く伝えて、やがて受け手が動機付けられ、自身で考えるようになるからです。それがモチベーションを維持、向上させるための方法です。