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難解な語彙 ‐根の深い木 52‐

小論文の課題文を読んでいる生徒から「難しいことを易しく伝えるべきなのに、これほど難しい言葉で書く必要があるのでしょうか?日常で全く使われない言葉で書かれているのは、なぜですか?」という質問がありました。

 

きちんと腑に落としてほしいので丁寧に説明しました。

 

「わざわざ難しい言葉を使っているのではなく、言いたいことを最も的確に表す言葉を使っている」というのが答えです。

 微妙に異なる部分を誤解なく、正確に人に伝えようとしたら、平易な言葉では表現しきれないものがあるということです。ただでさえ、人が使える言葉は個々に限界があり、よほど語彙が豊富な人でも自分が知っている言葉だけで専門的な概念を完全に伝え切ることは、簡単なことではありません。

 高校生の語彙で説明できる概念は、範囲は意外に狭いものです。日常生活を過ごすには何の不自由も感じないでしょうが、その枠を超えることを人は考えることができます。その機会を与えるのが専門的な領域ということです。

 特に学術的な論文の文中で扱われる正式な用語は、日常的ではありません。平易な日常語は、意味も広くて、読み手によっては解釈が分かれることがあります。小・中学生の記述問題で「答えは、一つではない」というのは、そういうレベルです。

「雪がとけたら何になる?」と問われて「春」と答えた子どもが、賞賛される情緒的な範囲とは違って、限定されて、人による解釈の食い違いをなくす必要がある場合の表現は当然、語彙も硬くなります。

 特に法律などは、刑罰を科すとか財産の得失とか、利害に関わりますから、それぞれに自分に都合よく解釈をしたのでは社会の秩序を維持できません。すると、日常語とは異なる難解な言葉を使わなくてはならないこともあります。

 いつの時代も国語の長文解釈を巡る議論では、解釈は十人十色なのだから、正解を一つに決めて、点数をつけるのはおかしいと言い募る人がいます。個性や自由の取り違いと、客観性を意識できないままでいるだけのことです。

 小説の解釈は人によって違って当たり前ですが、専門家が議論を重ねて到達した一つの結論は、尊重されるべきものです。ですから、読み込みの足りないことを指導するべきです。もちろん、模範解答とは異なる正解もあります。それが新しい解釈なのかもしれませんから、教師は真摯に検証することを怠れません。

 小論文の課題文には事柄によっては、予備知識がないと読めないものもあります。社会的に広く知らしめる必要がある場合は、平易な表現で、理解するために必要な情報を添えて、易しく書かれたものが出版されることもあるでしょう。

 自分の理解力不足を棚に上げて、「実生活で使わない」「役に立たない」と言う人には、その浅はかな教養観を正すのも、大人の役割です。