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自分の頭で考える ‐根の深い木 59‐

「自分の頭で考える」というフレーズをいたるところで見かけますが、「自分の頭で考える」というのは容易なことではありません。

 例えば、小論文の授業で課題文を読み終えた直後の高校生に彼らが持つ現段階の知識と情報をもとに見解を問うのはちょっとかわいそうです。

 「自分の頭で考える」というのは、ゼロベースを指しません。

例えば、この小論文の授業の際、4人でディスカッションすると、持っている情報量や観点が違うことでそれぞれが吸収し刺激し合います。さらにディスカッションの前に予備知識を講義しておくとアウトプットの質が格段に高まります。

 つまり、まずは先人の知識や他人の知識をインプットしてから、自分の頭で考えてアウトプットするのがその日のベストに近いものだと思います。

 思考することは大事なことですが、知識の積み重ねのない思考をもとにしたアウトプットを聴かされても、周りは退屈します。また、インターネットの普及で有用な情報が簡単に手に入るようになった半面、真偽不明の情報も多い時代ですから、目の前の情報を安易に信じ込むことは良くありません。雑談レベルならよいのですが、小論文を書くとなると真偽を問う意識も必要です。それでなくても情報は、発信者の立場により、捉え方のニュアンスが変わります。

 入試問題で「銅像の撤去」について問う問題がありました。ある時代の英雄が、のちに英雄ではなく、むしろ逆の解釈になった場合の銅像の扱いについての意見を書くものでした。

 この場合は、歴史的な知識が不十分ですと本人の「現時点」での情緒論か直感的な意見しか書けません。きちんと歴史を学び、いくつかの観点や情報を自分なりに解釈してから、アウトプットすることが重要です。「自分の頭で考える」というのは「短絡的でも構わない」というわけではありません。