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本を読む人 ‐根の深い木 61‐

私が子どもの頃、両親や祖母は、私が欲しがる本は、すぐに買ってくれました。

 自分で書店に買いに行くようになってからも、本代は無条件でくれましたし、どんな本を買うのかを問われたこともありませんでした。

 両親も本が好きだったので、小さな家の全ての部屋に書棚がありました。さらに私は、(明確に記憶としてあるのですが)小6から中2までは、母の読み終えたものも片っ端から読んでいました。父の読んでいるものは、一つも面白くありませんでしたが、母の読んでいるものは、その頃の私にとって、どうにも面白いものばかりで、小説だけではなく購読していた婦人雑誌(『ミセス』、『装苑』、『ドレスメーキング』という書籍名でした)から料理本までそれぞれ付録も全て読んでいました。ですから(どうでもいいことですが)私は、当時の母が熱中していたことをほぼ、わかっていました。(これもどうでもいいことですが)こうしてマザコンは形成され、私には反抗期がありませんでした。

 私は、読書をしない人がいるということを長らく知りませんでした。何となく知ったとしても最近です。学業も優秀で、豊富に趣味も持っていて、本は読まないという人が割とたくさんいらっしゃることも知りました。

 もちろん読まない人がダメだとも思いません。読書も数ある趣味の一つと言えるでしょうから、好まない人がいても不思議ではありません。

 私の周りにいた本を読まない人の共通点は、読むという行為は好きなようで、ネット情報はじっくりと読んでいます。ご自身の興味関心なのか、とにかくスポーツ情報やゴシップには詳しく、守備範囲も広いです。これは会話の良いきっかけになるとは思いますし、私との間で読書話では盛り上がらないというだけのことです。

 ところで、素朴な疑問ですが本を読まない人は、何を通じて感受性や洞察力を磨いていらっしゃるのでしょうか。

私は、読書こそ人間を知り人間関係の機微に触れることができる最適のものではないかと思っています。一流の作家の観察力の見事さに読書の愉しみは極まります。

 私は、子どもの頃、好奇心のままに、あちらにもこちらにも横展開して、読み散らかして数学や英語を勉強する時間がなくなってしまいましたが、母はそのことを一度も咎めませんでした。母なりの教育方針だったのでしょう。これは、思い上がりですが、私は読書の成果として共感性が身についたと思っています。そして共感性こそが、世代を超えた普遍に学ぶ人間観の土台になるものではないかと思っています。

 かつて私が読んだものを現在読んでいる生徒との雑談は、私にとって、最高に楽しく、たとえ刹那的でも完璧にジェネレーションギャップを解消してくれている(はずの)ひと時でもあります。