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読み書きの前にしたこと ‐根の深い木 63‐

話すときにはいくらでも言葉が出てくるのに、書くとなるとそうはいかないのはなぜなのでしょうか。

 感想文にしても課題作文にしても、日記でさえも、いざ書こうとすると、書き始めをどうしたらいいのか、なかなか言葉が出てこないという経験があります。

 社会に出れば、社内の報告書、企画書や社外文書など多種類の文章を書く機会(読む機会も)はなくなりません。フォーマットに倣って書くものも多いのですが、ある程度の勉強は必要です。

その前段階の学習として、高校生は小論文を書き始めます。初めは書き方がわかりませんし、これまで考えたことがないことについて書くことになります。とたんに語彙不足に陥り、考えていることが書けません。自分が感じること、考えていることを的確に言い表す言葉を見つけなくてはならない、これは避けられない課題です。

 国語力については「読み・書き」という言葉があり、読書の勧めがあり、活字離れが進んでいるとされますが、私は、順番としては「聞く→話す→読む→書く」ではないかと思います。まず大切なのは、聞く機会を持つことです。

 そして、耳にした言葉を使えるようにすることです。母親が我が子に読み聞かせをするように、親からたくさん話しかけられ続け、子どもは聞いて言葉を覚えていきます。「話す」ようになるまで、本当に多くの時間を「聞く」ことに費やします。つまり、聞いたことがあるという体験が基本です。そして、聞いた言葉を使えるようにすることです。

 ところで、国語という科目で、生徒は自分自身が何を学んでいるか説明できるでしょうか。もしかしたら分からないのではないでしょうか。教師は、自分が教えていることのゴールが何なのか分かっているのでしょうか。教師も生徒もその定義が、漠然として、「やってもやらなくても成果は変わらない」と思っているのではないでしょうか。

 国語は母語として無意識のうちに身についていくものですから、外国語を勉強することとは違っています。系統的な教育方法があっても生徒はそんな風に学んでいるつもりがありません。私は、国語指導では「言葉を使いこなす能力を高めさせること」が最も大切だと思います。それ以外は、「人はどういう時にどのように考えるのか」を文学を通して学んでいくものだと考えています。

 ですから、私は生徒の前では、ずっと話し続けているか、対話しているかです。「亀の甲より年の功」と言いますが、年長者との会話では同じ世代との間では絶対に出てこない語彙がちらほらと出てきます。生徒はそれを、使える自分の語彙に加えていけるのがいいと思います。年齢層が上に行けば行くほど、語彙は豊かなものです。

 年寄りとお話ししましょう。