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論じるには ‐根の深い木 64 ‐

授業で過去問を解説しながら「動物園の役割は何か」「動物園の動物は幸せか」を子どもたちに問いかけました。子どもたちには、日常的に「対極を知ることの重要性」を説いていますので紋切り型には答えません。

“動物園の動物が幸せかどうかをどうやって知ればいいのか”

“幸せを測定する方法はあるのか”

“どんなものさしを設定し、数値化したらいいか”

“怪我や病気の頻度で測れるのではないか”

議論が、始まりました。

“敵に襲われることもなければ、食べ物の心配をすることもない暮らしが幸せでないなんてことがあるだろうか”

“わざわざ過酷な野生を幸福と考えるのか”

“野生に比べて狭い檻でのストレスはどれほどのものか”

議論は白熱していきます。

“動物園では珍しい動物を見ることができる”

“珍しい動物はなぜ珍しいのか”

“珍しいということは、数が少なくなっているということではないか”

そして、認定動物園が希少な動物を絶やさず増やしていくために協力して種の保存を実行していること、絶滅危惧種についての関心が高い欧米では飼育費を寄付金でまかない、日本では動物園が自己負担してきたことを問題を通して知りました。

また、最近の入試問題で「鯨肉を食べることに反対する立場からは、どのような主張が考えられるか、また、この主張に対する反論としてどのような主張が考えられるかを指摘してから自分の考えを論じなさい」というものを扱いました。こういう問題では、捕鯨に反対する人々の根拠を押さえておくことも大切ですが単に食文化の伝統を守る立場と動物愛護の立場の対立ということでなく、反対派に対する思考が必要です。

議論するとき自分が「正しい」と考えるなら、「正しくない」という理由を知っておくことが必要です。すると、「その間にあるもの」が見え、勢いよく「絶対に正しい」とは言えなくなることがあると気づきます。何かを主張するなら「対極を知ること」は必須です。しかし、自分の意見に正当性と論理性を持たせるためには相当量の情報が必要になります。そして私たちは、実際にはわずかな知識しか持ち合わせていません。私は、自分の頭では無理なので「賢い判断ができる賢い人を育てる」仕事を選択しました。

海外就学生と過ごす教室は、一つのコミュニティです。個人個人が社会のひとつの構成要素として機能し、個々人が、あることを知らないということはたいした問題ではなくなってきます。結集した知能が機能すればよいということになります。これは、これからの人材の大きな役割のように思います。