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年齢相応の振る舞い ‐根の深い木 68 ‐

今の日本の教育制度では小学6年生は毎年12歳で、中学1年生は13歳です。学年担当の教師にとって相手はいつも同じ年齢です。同僚や夫婦や兄弟・姉妹のように一緒に年を取るということがない相手と時を過ごします。ですから長らく教師という仕事をしておりますと、年相応の振る舞いが遅れてしまうような気がします。自分が停滞していても、教師としての経験値だけは上がりますが、人間的に成熟していないことに気づきません。

しかし、おそらくほとんど人が、自分の進化にも劣化にも容易には気づかないのではないでしょうか。内面だけでなく外見の変化にも気づきません。人は自分の顔さえ自分の力では見ることができず、鏡が必要です。その鏡は、自分が見たいようにしか映してくれないと教わりました。だから、多くの人が自分は、実際の年齢より若く見えると思い込んでいるのかもしれません。人は年々、自分が何歳であると自覚して年を取っていくわけではありませんが、多くの人にとって、年齢は自覚しづらいようで「自分は若く見える」と思っていますし、そのくせ他人は自分よりも老けて見えると思っています。しかし大抵の人はみな、年齢相応にしか見えていません。本当に若く見える人もいるかもしれませんし、特別老けている人と比べて自分は若く見えると考えている人もいるかもしれませんが、どちらも稀です。

人は誰でも、いつまでも自分が若いままだと思っています。年齢を問われて「いくつに見える」なんて逆質問をしている人を見ると、周りに申し訳なくて私は慌てます。「若く見られることが多いんですよ」などと言っているのを聞くと、外交辞令というものをご存知ないのかといたたまれない気持ちになります。それでなくても男性は、自分が「晴れ男」だと言いたがりますし、飲食店に行けば「私が来るとこの店は途端に忙しくなる」と言いたがります。傍目には、滑稽ですが、ちょっとやそっとでは、この癖は治りません。私は、ようやく克服しました。

さて、子どもたちと一緒にいるからこそ考えさせられることがあります。それは、自分が同じ年齢ときに到底、達することができなかった気づきを今の子どもが持っていることを知った時です。さすがにこの時ほど年齢を自覚させられることはありません。

 

“負うた子に教えられて浅瀬を渡る” という言葉を小学校か中学校で教えてもらいましたが、相応の年齢になって、ついに実感しています。年齢を正味の重みで自覚できる日が来るものなのかと不安になりますが、自覚した上で、颯爽としていたいものだと研鑽を誓う次第であります。