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生き物の心 ‐根の深い木 71 ‐

“人間以外の生物に「こころ」は存在するのでしょうか。あなたの考える「こころ」を定義し、どのような生物に存在するかについて、具体例を挙げながら説明しなさい。もし、人間にしか「こころ」が存在しないと考えるならば、その理由を説明しなさい。”

これは、東京大学2018年外国学校卒業学生特別選考小論文問題です。

この問題を見て思い出したのは、日本の中学校の国語教科書にオルカ(シャチ)の調教師や学者が体験する話です。要約しますと、“オルカは、えさを欲しくて芸をしているのではなく、自らの状況を認識し、それを受け入れて精いっぱい生きることを楽しむために、「芸」を始める。決して人間が教え込んでできるようになったものではなく、オルカが、人間の求めていることを正確に理解し、自分の高度な能力を、調教師に合わせている。狭いプールで人を背ビレにつかまらせ、猛スピードで泳ぎ、プールの端にくると、細心の注意をはらって人が落ちないようにスピードを落とし、プールサイドに立たせる。水中から、直立姿勢の人間を自分の鼻先に立たせたまま上昇し、安全な場所に落下するようにスピード・高さ・方向を三次元レベルで調整するなどということが飴とムチによる強制ではできない。オルカ自身の意志がはたらいている”という推論の説明文です。狭いプールに閉じこめられ、本来もっている高度な能力の何万分の一も使えない過酷な状況で、自分がその状況を受け入れることを決意し、人間を喜ばせ、自分自身も生きることを楽しむオルカの「心」があるからこそできるのではないか、それどころか彼らは人間にコミュニケーションを試み、言語で了解したという合図を送ったというのです。

人間以外の動物に心があるのかどうかは確かめようがありませんが、オルカに限らずチンパンジーや象や鯨も何らかのコミュニケーションをとっているということを私たちも何がしかの形で知っています。動物には「言葉はない」という証拠がありません。

ところで私は、以前にNetflixで『Dog’s Purpose』という映画を観ました。「犬から見た人間」がテーマの映画ですが、私はこの映画を観ながらほとんど自分が犬になりました。彼らにも、苦しみ、孤独、喜び、幸福があると感じました。

ところで、NYCAにはいろいろな特技を持つ生徒がいますが、その中に10年を超えるキャリアの馬術の選手がいます。彼女が自身と馬との対話の内容を私によく話してくれます。彼女の話からは主観的な思い込みや単に動物を愛するという観念としてではなく、明確な意志の疎通を感じます。人馬一体という高いレベルの競技はそうして成り立つものだと感じさせられます。本当のところは、相手がどのように感じているのかは、わかるはずがないのですが、それは人間同士も同じなのかもしれません。しかし、受け止めようと努力するのが人間という生き物なのだと考えています。