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教育平等主義‐根の深い木 74 ‐

「○○ができない大学生」「GL型大学論」「○○を崩壊させる教育危機」「ブラック部活動の危機」「学歴無用論」。教育に限らずどのような分野でも極論というものはあります。

どれも語られていることと現実との間には相当の落差があるように感じます。旧指導要領の頃には「日本の教育は悪平等で、運動会で“お手々つないで一等賞”だからダメ」と言う人がたくさんいらっしゃいましたが、そんな学校が本当にあったのでしょうか。私は、実際にそんな運動会の例を身近で聞いたことはありませんでした。特殊な事例があたかも一般的であるかのように言われているケースがいくつもあります。

「日本の教育は詰め込み型で良くない」と言われ続けていますが、日本の教育は決して知育だけに特化しているとは思いません。日本の徳育はかなり行き届いていると思います。友達と仲よくすることもあいさつをすることも掃除をすることも学校教育では徹底して指導しています。学校も家庭もしつけが大事だと考えています。「今時の・・」も「○○離れ」も偏見や意図的なものによるケースがあるように感じます。

インターネットによって、さまざまな視点からの情報を得られるようになり、正しい判断がしやすくなるかと思いましたが、「極論」を主張する人が多様化しているように思います。また、とかく観念論に傾きがちな教育観を外から揺さぶる人はいつの時代にもいます。

ところで、日本では、選挙の度に消費税が喧しく、稀に他国との税率比較も紹介されます。PISA上位国であるフィンランドでは、公立学校は大学卒業まで無料で授業を受けることができます。しかし当然、国民に課せられる税金は高くなり、消費税率は24%です。日本が既存の生活価値観のまま、フィンランド型の教育を実践するために国の制度を変えてまで導入するのは現実的ではありません。

 

昨今、否定される価値観の中に「日本では“いい学校に入って”“いい企業”に就職したところで幸福ではない」というものがあります。それは、その通りです。“いい学校に入って・・・”がそのまま幸福を担保するとは誰も思わないでしょう。しかし、誰がどのような責任において言っているのかは大切です。日本では企業で活躍するために学校に行くことが重要視されてきました。これは優秀な労働人口を増やすために教育制度が整えられてきたからこそであり、その成果として今の発展もあります。進学塾もそこが命綱でしたし、学校補完型であれ、難関校受験型であれ、どのような特長の塾も「学校の授業をわかるまで」「夏は受験の天王山」などと煽ってきました。突然、「どんな学校を出るかより、どのように生きていきたいかが重要だ」と言われても、すぐに価値観や人生観を変えられないのは、当然ではないでしょうか。保守的というより、現実的な強かさを日本人が持ち合わせているからでしょう。学歴が無意味などとは、ほとんどの人が思ってはいないのではないでしょうか。私の仕事の性質かもしれませんが、そうおっしゃる方には出会ったことがありません。全入時代に様々な大学があっていいと思います。今の国際競争の中で世界に伍して乗り切るには企業は学歴によって社員を処遇するような愚かなことはできなくなっているでしょう。評価されるべきは生産性であって学歴ではありません。その意味においては学歴は無用です。それでも,新入社員を採用する際には,スクリーニングとして学歴は役に立ちます。もちろん、学歴が通用するのは,そこまでです。