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気づきませんでした‐根の深い木 77 ‐

「気づきませんでした」と言わなくてはならない時ほど辛いことはありません。自分だけが気づかなかった時などはなおさらです。

「気づく」力はいろいろな場面で重要です。何をどんな風にどれほど教えてもらっても、人がどのように思うのかに気がつかないのであれば、どうしようもありません。

先日、生徒たちと『すこやかな判断力を身につけるには』(真下信一著)の以下のような文章について議論をしました。

“「非常識」とは、人間の行動の欠如を責める道徳的非難の言葉なのであって、知識の量の不足に対する批判ではない。ごく卑近な例でいえば、私は未知の青年からよく手紙を受け取る。その多くは質問なので返事が求められるわけなのであるが、そのような場合、切手や宛名の書かれた封筒まで同封してあるのもあれば、そんな用意は皆無、ただ乱雑な筆跡で、簡単には答えられない質問をならべ、すぐに返事がほしいと要求しているのもあるし、中には、もし気が向けば返事を書いていただければ幸いですと書いたものもある。中略 本当の常識の有無はそういうところにこそあらわれる。知らないことが恥なのではなく、人間的分別のないことが恥ずかしいことなのである。”

生徒たちは、うなずきながらさまざまな例を挙げてくれました。カフェやドーナツ店など、お店ごとの対応の違いやバスや地下鉄の乗客の態度のことなど、高いレベルの観察力で、私は舌を巻きました。

さて、社会に出ますと誰しも仕事で多種多様な経験をします。上司から考え方や理論やフレームを学びますが、上司や先輩は人間的分別を教えてくれているのでしょうか。部下は、「気づきませんでした」と言える機会を持てているでしょうか。気づく人と気づかない人のアイデアや策に差はないでしょうか。学びはちゃんとした成長に変わるでしょうか。私の知っているある企業の幹部の方は、足を組むと靴の裏が見えます。それほどまでに股関節が硬いのなら、足を組まない方がいいのにといつも思います。おまけに靴下が短くてすね毛が見えています。トイレでお会いした時は、ハンカチを口にくわえて手を洗っていらっしゃいました。その方に研修を受けても何かが得られるとは思えませんでした。これからの人材育成はリーダーシップや経験や原理原則や考え方を教える人がまず、気づく人であるかどうかを見極める必要があるように思います。

 

若い人にとって職場で誰と出会うかというのは人生を左右するほどに重要な問題です。「あの会社で働きたい」とか「自分探し」とか言っている若い人たちにとって、気づく力や品位はいずれ死活問題になると思った方が良いように思います。