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趣味‐根の深い木 94 ‐

人は、趣味を通じてコミュニケーションを図ったり、知識を増やしたりして、日常の息抜きの機会を得られることが多くあります。もちろん、趣味がないからコミュニケーション不全に陥るか、といえば決してそうではありません。

趣味は本人が楽しければそれで完結してしまっているものですから、副次的効果は重要ではありません。趣味に対する関心の差によって、どんどん専門性を求める場合もあれば、本人の満足の枠内のみで行われるものもあります。

私は、趣味は多くありませんが、料理が好きで作ることも食材を見に出歩くことも趣味の一つです。料理が、私に教えてくれたことは実にたくさんあります。私は、食べるものを捨てることにとても抵抗があります。傷んでしまう前に、美味しい料理にしてしまわなくてはという気持ちが強すぎるくらいで、まずもって食べられる部分を捨てるということがありません。そう考えて料理しておりますとレパートリーが増えていきます。「何と何を組み合わせてこうして調理したらきっとこうなる」と考えている時が一番楽しいです。

私にとっては、外食よりも家庭での食事の方が大切ですし、楽しいです。友人を招いて美味しいものを一緒に食べる時が至福です。

私の母は、料理がとても好きな人でした。たくさんの種類の料理を毎日、作っていました。私の娘の中学、高校時代の弁当は、妻ではなく母が6年間毎日作りました。娘は、学校で弁当箱の蓋を開けるときがいちばん楽しいと言っていました。クラスメイトたちが覗きにくるので、それが、とても嬉しかったそうです。得意がって蓋を開ける娘を想像して、私も自分が同じ立場の頃を思い出していました。母は家庭の大切さを食事で教えてくれた人でした。

私はこだわりのレストランというものが苦手です。「当店は○○産の○○しか使用いたしません」という食材ばかりですと、そのツケはお客さんの勘定にまわってしまいます。「あれも最高、これも最高」という食材ばかりですと、良いものを知ることはできますが、よろこびと支払いのバランスがしばしば釣り合いません。いろいろなレストランがあるし、いろいろな料理人がいて、いろんな料理があります。楽しみやよろこびに見合う値段は、私の中ではそんなに高額ではありません。美味しいものは高いものばかりで成りたっているわけではありません。お店によっては料理は卓越しているけれど、商売気が強過ぎると感じることもあります。

日常には「究極の一品」はなくても「この料理ってあの食材を使う場合と、味に何倍もの差はないよね」という楽しみがあります。

私は、料理人があんまり強い個性を出すのではなく、きちんと修業をして、地味に学んできたとおりの料理を出してくれる、そういうお店が好きです。奇を衒ったり、前衛を取り入れたりする技術にはそれほど興味が湧きません。そういうことより、料理人の気くばりの質が、結局は技術の質と効率の高さに直に通じているように感じます。大事なことは、アイデアではないと思っています。ジャガイモやタマネギなど素材単体として当たり前すぎるものほど、すばらしいと思います。

 

私が惹かれるのは、「あ、この料理人の人間性はいいなあ」と感じることです。ほとんどの仕事で問われているのは、そういうことではないかと思っています。それがすべてではないかと思うことさえあります。