NYCAブログ

NYCAブログ · 2020/03/24
コロナウィルス感染の拡大で、グローバル化の進展は逆回転しています。これを書いている3月23日現在、世界各国が感染を防ぐために海外からの渡航を制限し始めました。経済に与える影響を考えたとき感染が長期化すればするほど、深刻な影響と混乱が生じることになります。...
NYCAブログ · 2020/03/05
日本では、これまで私立中学を含め、難関校志願者のスポーツ参加率は、かなり低かったように思います。中2になると、部活と勉強のどちらを選択するべきかと自問自答する生徒もたくさんいました。中学受験専門塾では、小5の2学期あたりに、「そろそろお稽古ごとの整理を」とやんわりと受験学習に専念させるように誘導していました。合格のためには、少しでも指導時間を確保したいというのが、本音でした。 2年前に、甲子園出場の野球部監督が「文武両道などあり得ない」「文武両道は二流だ」という内容の発言をして物議を醸したことがありました。文武両道の定義が、議論参加者によって、違っていたのかもしれませんが、勉強ができるトップアスリートはたくさんいることも事実です。私たちは、本人がスポーツ好きならば両立を選択してほしいと考えていますし、心から応援しています。大会出場を優先された場合は、必ず、振替授業を行っています。進学塾教師は、建前として「どちらも応援します」と言いがちですが、指導成果を出して、ご家庭の不安を払拭することが、真の応援だと思っています。 ところで、トロントは、ウィンタースポーツが盛んですし、ジムやフィットネスもたくさんあります。スタジアムだけでなくスポーツバーでの観戦など、1年を通してスポーツが日常に浸透しています。また、それに合わせるかのように、スポーツウェア愛好家が多く、着こなしも洗練されています。MLBのキャップやTシャツだけでなく、NHL、NBAのレプリカウェアもとても人気があります。街を歩いていても全身からスポーツ感満載で、ジムから今出てきたかのような格好をよく見かけます。子どもたちも、スポーツウェアを普段着にしていて、本格的なスポーツブランドのウェアやシューズを品よくコーディネートしています。綺麗なデザインのものを実にカッコよく着こなしているのです。スポーツウェアを着て、真剣に授業を受ける生徒たちを毎日興味深く見ていた私は、やっとアスレジャー(athletic+leisure=athleisure)という言葉とその概念を知りました。数年前までの普段着としてのスポーツウェアは、着心地とリラックス感だけを優先して、お洒落とは逆方向で、ルーズな人に見えがちでした。スポーツをやっている雰囲気のない人が、楽チンなウェアとしてジャージーで買い物に行ったり、パジャマ代わりにしたりというイメージでした。ところが、今は大人も小中学生も高校生もファッショナブルを重視して、スポーツウェアを肩肘張らずにファッションとして楽しんでいます。私たちも小学生との会話でアディダス派かナイキ派か、はたまたアンダーアーマー派かで盛り上がります。アスレジャーは、活発な子どもたちには、最適なファッションです。スポーツ好きのアスレジャーのオシャレ度はレベルが高く、子どもたちの着こなしは堂に入っています。彼らに私の小中学生の頃の写真を見せたら「先生は何時代の人ですか?」と言われそうです。 スポーツを日常に取り入れているアスレジャーに身を包んだ受験生は、かなりカッコイイです。スポーツを楽しみ、本を読み、偏りなく食生活を送る−文武両道はとても健康的な発想です。
NYCAブログ · 2020/03/04
NYCA開校前に、PISAスコアの高い国の教育施設を見ておきたいと考えていましたので、いくつかの国を視察しました。どの国の制度にもそれぞれに磨き込んだ特長を感じました。やはり、教育を国家の産業基盤と捉えているのは皆、同じだと感じました。そのなかでも私は、シンガポールに強く興味を引き寄せられましたので、何度も視察しました。ちなみにシンガポールとトロントは多民族都市で、清潔で、治安が良く、マナーがよいという共通点を感じます。私は、この視察と前後して、シンガポールについて学ぼうと思い、何冊かの本を読み、さらに訪問の度に国立博物館を見学しました。博物館では、ボランティアの方(日本人女性)が丁寧に解説してくださいますし、太平洋戦争中の日本とシンガポールの関係もさまざまな写真や記録映像で見ることができます。私は国立博物館への最初の訪問で自分がシンガポールと日本の関わりの深さを知らないことに驚きました。広く知られているのは連合軍司令官のパーシヴァル中将と日本の山下奉文中将の降伏交渉の会見場面で、山下中将が返答を渋るパーシヴァルに「イエスかノーか」と迫ったというエピソードや、戦後初代首相リー・クアンユー氏の"Forgive, but never forget"という言葉です。リー・クアンユー氏は、反日感情を利用して統治するということをしませんでしたので、シンガポールはアジアの中でも有数の親日国ですし、日本にとって重要な貿易相手国・直接投資国です。しかし、私は、第二次世界大戦中の日本統治下のシンガポールのことを全く知りませんでした。このとき、仕事柄、教育改革においての「考える歴史教育」とは、どのような手順で、どのように行ったらよいのだろうと考え込みました。中学生にとっての歴史教科書は簡潔すぎますし、高校生にとっての世界史という科目はあまり人気のある科目ではありませんでした。高校までの授業では、「なんのためにこの教科を勉強するのか」という問いに対しては、「受験のため」というのが目的でした。ですから教師も、その目的に沿うように授業を作っていくことが大切な仕事でした。生徒は、個々の現象を情報として覚え込むことに徹し、試験の得点を取ることに汲々としてきましたから、歴史を「考える」余裕を持てませんでした。それでも、旧カリキュラムで学んだ世代は、中学や高校で暗記した人名・事件・年号などの固有名詞が、歴史を学ぶ出発点の一つにはなっています。 これからの歴史授業では、固有名詞による歴史上の特定の事件や特定の人物ではなく、その時々がどのような社会であったのかをイメージさせ、個々の現象の裏にある脈絡に気付かせることで「だからあの時代にあんな事件が起きていたのか」と、連想できるようにすることが重要です。世界史も日本史も学ぶことで次の出来事の原因を知るきっかけにできます。 特に世界史が理解できないと、世界のニュースが理解できません。戦争や紛争の原因は突き詰めると歴史に行き着きますし、世界の政治制度や習慣も、価値観の違いも歴史に答えがあるはずです。並行して客観的な史実を正しく理解し、過去を照らして現在を理解しなければならないことがたくさんあります。歴史を勉強しないということは、今しか見ていないということです。年号や戦争で活躍した人の名前は、現在を考える時の役には立ちませんが、その時代の生活や人々の知恵などといったものは、現代にもおおいに役に立ちます。 これからのグローバル人材は、相互理解を促進するために自分の国の歴史を勉強し、話す相手の国の歴史を知っておくことで、どのような話題でアプローチするべきかどんな話題を避けるべきかを考えられる人になることが必要不可欠です。
NYCAブログ · 2020/02/24
人は、趣味を通じてコミュニケーションを図ったり、知識を増やしたりして、日常の息抜きの機会を得られることが多くあります。もちろん、趣味がないからコミュニケーション不全に陥るか、といえば決してそうではありません。...
NYCAブログ · 2020/02/18
論語に「不時不食」というのがあります。 「時ならざるは食らわず」と訓読みします。季節はずれのものは食べないという意味です。 この文の前後には、「色悪不食。臭悪不食。」(色の悪いものは食べない。臭いの悪いものもたべない)など、食についての戒めがいくつか並びます。論語は食育にもなりますね。...
NYCAブログ · 2020/02/06
世の中には、何でもぶっつけ本番でやっているように見える人がいますが、実はそんなはずはなくて、練習しているところを見せていないだけです。どんなに些細なことでも、短いスピーチでも何日も前から練習しているかもしれません。...
NYCAブログ · 2020/01/17
「(子どものために)よかれと思って」したことが、大きな間違いということがあります。「子どものために」と言いながら、実は、追い詰めているだけで、本当は「よかれと思って」いません。 特に教育やスポーツでは、このセリフが出た時は、既に子どもにダメージを与えているだけということがあります。...
NYCAブログ · 2020/01/13
大人の雑談では、お互いに何か共通する話題を探して、時事問題を切り出すことがあります。「誰がどういう影響を受けるのか?」「そもそも誰が悪かったのか?」「政府はどのように対応すべきか?」などで会話が膨らんでいきます。時事について知っておくことは、中学受験生や大学受験生にとっては、良い受験勉強にもなります。...
NYCAブログ · 2020/01/06
我が子に本を読む子になってほしいと願う保護者は多いと思います。読書習慣がついてからの生活は、それ以前の生活とは全く違う楽しみがありますし、小中学生の頃についた読書習慣は、国語力を高めます。語彙力、文章力、漢字力は、読書をしない人より高いのが普通です。もちろん、読書をしない人で、自分の国語力に自信を持っている方は、たくさんいます。本を読まない国語教師もたくさんいますが、子どもに読書の面白みを伝えられないのは、残念ですし、私は国語教師としては採用しません。 私は、受験学年だから読書の時間が取れないという考え方を持ちません。むしろ、読書時間を確保するために最速で宿題を終わらせるというモチベーションを優先します。読書時間を削ってまで勉強しない、という強者も過去に幾らもいました。そのタイプの子らは皆、最難関校に進学しました。豊かな想像力、高い語彙力、長文を読む時の集中力は、読書習慣を持たない子のそれを遥かに超えていました。 ところで、NYCAには村上春樹の作品が大量に置いてあります。ですから、小学生から高校生まで多くの生徒が読んでいます。小学生が、『ノルウェイの森』を読んで、大盛り上がりしていたことがありました。貸し出しについては、2週間で返却する約束事があるのですが、なかなか返ってきませんでした。こういうもの(“性的な表現が教育上好ましくないのではないかと思う人がいる”と思われるもの)を読ませていいのだろうかと迷う方もいらっしゃるかもしれません。「もう少し大人になってから」とお茶を濁してしまう方もいると思います。それに対して、村上春樹氏自身は、あるところでこんなふうに書いていらっしゃいました。 “そういう部分があったとしても、小説全体が持っている姿勢というのは、結果的にはうまく伝わります。小説というのは、そういう懐の深さがあります。もし僕が15歳だったら、ひっそりじっくり読みたい。実際にそういうタイプの子どもでした。” 私自身は、母の部屋から勝手に持ち出した三島由紀夫の『潮騒』を読んだのが小6でしたし、それがきっかけで、以後数十年、三島作品を楽しみながらほぼ全作品を読破しました。教育上好ましいか好ましくないかの意見が分かれそうな箇所は、いくらでもありました。また、浅田次郎の“霞町物語”は、麻布中学を初め、いくつもの私立中学で出題されています。私は、出題された年にこの本を読み、保護者会で「お子さんに買い与える場合は、お母さんが先に読んでください」と伝えました。内容を知らずに買い与えるよりは、我が子が今、それを読んで、どんな気持ちになっているかとか、刺激を受けて何かを訊ねてくることも想定しておいた方が良いと思ったからです。 もちろん、こうした内容に早い段階で向き合うということを目的として読ませるのではありません。文学作品として紹介するのみです。ご存知のように、三島由紀夫も村上春樹もノーベル賞候補作家です。圧倒的に高品質の文学作品です。
NYCAブログ · 2019/12/20
首都圏には現在20校を超える公立中高一貫校があります。中高6年一貫教育は、私学十八番(おはこ)のシステムでした。そのメリットをわかってはいてもコスト面など様々な理由で中学受験に踏み切れなかったご家庭にとって、公立一貫校の開校は朗報だったに違いありません。共学であることや難関大学合格実績の高さでも人気を集め、さらに私立中学受験者にとっても公立一貫校との併願パターンも組み込むことができるのですから中学受験は「公私」共に活性化します。相乗的に新しい入試スタイルも導入されつつあります。公立一貫校は適性検査型入試を行っていますが、首都圏の私立中学でもこれを導入するところが増えています(2019年には147校が適性検査型入試を導入しています)。名称は「思考力入試」「PISA型入試」「総合型入試」「プレゼンテーション型入試」「基礎学力型入試」など、それぞれの学校のコンセプト毎に異なりますが、公立中高一貫校向けの準備をしてきた受験生にとっては、併願しやすくなることでしょう。 2020年の大学入試改革で求められている「思考力・判断力・表現力」を求める学力観と、中高一貫校の「適性検査型入試」で求める学力には相通じるものがあります。「自分の身の回りのことに関心を持ち、問題点を発見し、自分なりの解決策を考え、さらにそれを周りの人に伝える力を備える」ことに対応して行くのは、将来の大学入試や社会で求められる力を育むための良い契機になります。科目を問わず資料やグラフから必要な情報を読み取り、理由をグラフのデータと関連させて説明するタイプの問題などは、従来の私立中学入試とは大きく異なります。パターン学習で解法を覚えるという学習方法では合格できない形式の問題なのです。ちなみに公立中高一貫校の「適性検査」では、一般的に「理系」「文系」の2科で行われます。 「理系」は、算数・理科的な問題でありつつ、「周りの人に伝えるコミュニケーション能力」を試され、考え方・解き方を説明する「記述力」も必要になります。 こうしたタイプの問題では文章や資料の「読解力」と「分析力」を問われるので、日ごろから考える習慣がついていなければ、対応できません。従来型の入試では、定員通りの合格者数をコントロールするためにも正解は一つでなければなりませんでした。しかし、今後は学力の「質」で選抜していくには、中学受験の段階から適性検査型にしていく学校が増えても不思議ではありません。 大学入試と日本の教育が大きく変わろうとする節目に、受験学習一辺倒ではなく音楽、芸術、スポーツ、英会話など多様な習い事を通して体験を積んできた子どもたちが受験していける入試形態として進化して行くのならばこれは実に素晴らしいことだと思います。

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