ブログカテゴリ:校長



校長ブログ · 2019/09/16
「○○ができない大学生」「G型L型大学論」「○○を崩壊させる教育危機」「ブラック部活動の危機」「学歴無用論」。教育に限らずどのような分野でも極論というものはあります。...
校長ブログ · 2019/09/11
 グローバリゼーションに伴い、世界史を学ぶ意義は非常に高まっているのではないでしょうか。私も「考える歴史教育」という言葉を胸に刻んで子どもたちとともに学んでいきたいと思っています。個人的に興味のある「時代」について深く学ぶのは実に楽しいことです。私は史実より歴史小説から入ったので、歴史認識は偏りが大きかったと自覚しています。例えば、私にとっての日露戦争は『坂の上の雲』になってしまっていますし、島原の乱は『沈黙』を読んだ時に自身の狭小な認識が粉微塵に吹っ飛んでしまいました。また第二次ポエニ戦争もハンニバル一色が記憶です。  映画を観たり読書をしたりして断片的に知っていることをきっかけにインターネットで調べているうちに関心が広がることもあります。しかし、今までのように偉人たちの活躍や、戦争の決定的な局面ばかりを重視するのではなく、その時代のそれぞれにとっての対象国の背景を学んでいくのが良いとつくづく思います。  世界史は新学習指導要領でも、これからの国際社会を担う人のための必修科目と位置づけられています。過去のすべてではなくとも、世界史の流れのなかでの日本史を捉え直すというのは対外的な常識を形成するという意味でもとても大切なことだと思います。  特に20世紀という時代の戦争、科学技術、経済成長、民主主義などは、文明を受け継いでいく上では、学んでおくべきです。関心を持たないままに遠い過去のこととして暗記するのは、これからの歴史学習ではありません。今、大学入試において「世界史」は、問いかける科目として小論文の課題となり得ています。切り口一つで、答えが異なるというところが肝です。NYCAの小論文講座では、予備知識を十分に持たない段階での議論と対象国の歴史的背景を学んでからの議論とでは、自身の結論の質に大きな差が出ることを実感してもらっています。  現代社会につながる世界のシステムがどのように展開してきたか、国々の誇りと闘いを充分に見ずしては理解できないことがたくさんあります。自分の国の教科書だけの一面的な解釈では、底が浅いと気づいて欲しいです。
校長ブログ · 2019/09/06
 日本では、まだ普及していませんが、欧米では小・中学生のサマーキャンプは、長い歴史を持つ教育プログラムです。私たちは、トロントのサマーキャンプに日本から参加する小学生に対する教育のお手伝いをしています。将来、海外への進学を考えている人やネイティブの発音を身につけたい人、国際感覚を養いたい人には最高のプログラムです。トロント市内の大学のレジデンスを使って行うので、海外の学校の雰囲気を感じることもできます。  「子どもたちに英語を好きになってもらう」という目的もありますが、子どもだけで飛行機に乗ること自体が冒険です。3週間以上も親元を離れ、普段出会うことのない人々と過ごす非日常体験のなかで、ダイバーシティを感じてもらいます。ここで子どもたちは日常生活では味わえないたくさんの体験をします。この体験は、子どもたちの自立を促す絶好機となります。私たちがお手伝いをしているキャンプは英語体験と自然体験のミックス型で様々なアクティビティを楽しみながら学び続けます。私たちは今年、日本から30名以上の小学生を迎えました。  TV、ネット、ゲームから完全に離れ、本物のアクティビティを体験し、ネイティブの英語に触れ、リアルに海外生活を体験します。学校や塾で感じるようなプレッシャーもありません。いつもリラックスして考え、どこでもコミュニケーションを試みます。まさに、次年度からの教育改革が標榜するグローバル人材教育の急先鋒です。  集団生活は周りの人との関係が大事ですし、自立心を刺激します。食器を片づけたり、荷物を整理したり、洗濯したり、自分でやらないといけないことがいっぱいあります。彼らは、進学塾では学べないことを外国で夢中で学びます。キャンプの終盤では「来年は、受験生だから来られない」と寂しそうに話していましたが、そのことさえ自覚していくようになります。もちろん、各ご家庭の豊富なコミュニケーション量の賜物なのですが、タイミングも優先順位も理解している子どもの感受性を心強く思います。教育は10年経ったら、必ず成果を見ることができます。現在小学6年生の子どもは10年経てば社会人になります。子どもの頃にこれほど夢中になることができた体験、帰国前夜のフェアウェルパーティーや帰国当日の空港での惜別、これほど感受性を豊かにする体験が大人になって開花しないことはあり得ません。
校長ブログ · 2019/08/20
“人間以外の生物に「こころ」は存在するのでしょうか。あなたの考える「こころ」を定義し、どのような生物に存在するかについて、具体例を挙げながら説明しなさい。もし、人間にしか「こころ」が存在しないと考えるならば、その理由を説明しなさい。” これは、東京大学2018年外国学校卒業学生特別選考小論文問題です。...
校長ブログ · 2019/08/15
教師は、異業種との関係性があまり多くはありません。むしろ、どちらかというと孤立した社会です。ですから、どうしても視野が狭くなりがちです。そして、対象が子どもですから絶えず道徳的なことを重んじた発言をします。現実的すぎて身も蓋もない話よりは、理想論を軸にして話をします。...
校長ブログ · 2019/08/10
トロントのスーパーマーケットのレジで、一人の女性客の苦情で10分以上に渡って会計が中断されたことがありました。解決した後、女性客は店員に「最高のサービスだったわ」と言い、その女性の後ろにいた私には「あなたにはずいぶん待たせて申し訳なかったわね」というようなことを言っていました。私の後ろで並んでいた他の方達も普通の表情をしていました。これが特異なケースだったのかどうかはわかりませんが、私は、頻繁にスーパーマーケットに行くのでこうしたことをたまに経験します。トロントの買い物では客も店もとても寛大で、働く人とお客さんの関係が、とても近い気がします。店員とお客さんが普通に会話をしています。これは日本では滅多に見かけない光景ですが、トロントではこの光景を見ない日はありません。反面、道路ではクルマのクラクションの使用方法が日本とは極端に異なっていて、日本なら感情がぶつかり合って事件が起きそうになる程、些細な不満をクラクションで表現します。これも日本では、滅多に見かけない光景です。この2つの情緒的なアンバランスは実に不可解です。 また、トロントでは公共施設などのドアの開閉時に前の人が後ろの人のためにドアが閉まらないようにちょっとの間、支えるという親切をするのが常識になっています。とても細やかな気遣いを感じます。こうした体験を生徒たちといつも話し、「多くの人がよいと支持していること」について日本との違いを議論もします。すると、人間の社会性が形成されていくときに、日常の環境が与える影響は、ずいぶん大きなものだということに気づきます。子どもたちは他の人の行動や言動を規範にしやすい特性を持っています。子どもは、決して学校を世界の全てと思ってはいません。学校外での体験から、たくさんのことを学んでいます。生徒たちが、良いマナーを身につけるのが早いのはこうしたことが理由かもしれません。授業が終わると自分の机の上のゴミは全て(消しゴムの消しカスも)、ゴミ箱に入れて帰ります。貸し出しの本の期限を全員がきちんと守ります。異文化社会という環境の中で、何がしかの理由で身につけたのか個々の特性かは、わかりませんが、異文化の中で暮らすのは楽しいことばかりのはずがありません。精神的にしんどいこともたくさんあるはずです。異文化を理解するには、どこかしら別の能力が要求されています。家庭や学校の中や、机に向かって獲得できる類のものではありません。 自力でマナーを身につけたり、文化の違う相手を受け入れようと努力したりするというのは、とても尊いことです。
校長ブログ · 2019/08/05
今の日本の教育制度では小学6年生は毎年12歳で、中学1年生は13歳です。学年担当の教師にとって相手はいつも同じ年齢です。同僚や夫婦や兄弟・姉妹のように一緒に年を取るということがない相手と時を過ごします。ですから長らく教師という仕事をしておりますと、年相応の振る舞いが遅れてしまうような気がします。自分が停滞していても、教師としての経験値だけは上がりますが、人間的に成熟していないことに気づきません。 しかし、おそらくほとんど人が、自分の進化にも劣化にも容易には気づかないのではないでしょうか。内面だけでなく外見の変化にも気づきません。人は自分の顔さえ自分の力では見ることができず、鏡が必要です。その鏡は、自分が見たいようにしか映してくれないと教わりました。だから、多くの人が自分は、実際の年齢より若く見えると思い込んでいるのかもしれません。人は年々、自分が何歳であると自覚して年を取っていくわけではありませんが、多くの人にとって、年齢は自覚しづらいようで「自分は若く見える」と思っていますし、そのくせ他人は自分よりも老けて見えると思っています。しかし大抵の人はみな、年齢相応にしか見えていません。本当に若く見える人もいるかもしれませんし、特別老けている人と比べて自分は若く見えると考えている人もいるかもしれませんが、どちらも稀です。 人は誰でも、いつまでも自分が若いままだと思っています。年齢を問われて「いくつに見える」なんて逆質問をしている人を見ると、周りに申し訳なくて私は慌てます。「若く見られることが多いんですよ」などと言っているのを聞くと、外交辞令というものをご存知ないのかといたたまれない気持ちになります。それでなくても男性は、自分が「晴れ男」だと言いたがりますし、飲食店に行けば「私が来るとこの店は途端に忙しくなる」と言いたがります。傍目には、滑稽ですが、ちょっとやそっとでは、この癖は治りません。私は、ようやく克服しました。 さて、子どもたちと一緒にいるからこそ考えさせられることがあります。それは、自分が同じ年齢ときに到底、達することができなかった気づきを今の子どもが持っていることを知った時です。さすがにこの時ほど年齢を自覚させられることはありません。 “負うた子に教えられて浅瀬を渡る” という言葉を小学校か中学校で教えてもらいましたが、相応の年齢になって、ついに実感しています。年齢を正味の重みで自覚できる日が来るものなのかと不安になりますが、自覚した上で、颯爽としていたいものだと研鑽を誓う次第であります。
校長ブログ · 2019/07/30
なんとなく”感じがいい人がいます。この“なんとなく”は、分析していくと、きっと根拠にたどり着くはずのものです。 初対面で、すごく自然にほほ笑みかけてくださるような人。こういう人は、きっと相手に良い印象を与えることを心がけていらっしゃるのだと思います。...
校長ブログ · 2019/07/25
私が社会人になる数年前からついこの間まで、日本のビジネス社会は、「滅私奉公」的な猛烈社員であることが、暗黙に求められていました。大多数の普通の人が、猛烈であることを是として、家庭や自身の時間を犠牲にしてでも頑張ってきました。やがて教育産業にも「気合い」の導入は広まり、「元気がよい」「笑顔がよい」「大きな声であいさつしている」などの言動が賞賛されるようになりました。販社では特訓と称し、芝居掛かった気合いを演じてみせるトレーナーに共鳴した中堅社員が「自分はまだまだ甘かった」と改心を熱く語りセミナーの受講を勧めたりしていました。少し踏み込んで考えれば疑問を感じることがたくさんありましたが、能力もやる気もある人は業績魂こそが自分を成長させてくれていると信じて頑張りました。精神論から入ると、どんどんロジカルに考えることが遠のきます。相手の役に立つことに集中した方が、早く良い結果が出ることも多かったはずですが、ハウツー本の「お客に拒絶されてからこそ、初めてセールスが始まる」のような話を真に受けていました。 さて、最近の小論文課題文に大衆社会論が出題されていました。この問題について生徒たちとのディスカッションを通して“『誰もが持つ画一的な性質や受動性があらわれた社会』『保身に専念する人々が個としての自立性を否定して、「全体」にとけ込もうとする傾向』『経済的利害を中心に画一的に振る舞うようになった人々の思考が停止し、自分にとって利益を約束してくれそうな集団に、機械的に従う』『自らの理性で善い行いをするということがなかった人』になってしまったのが大衆社会”―なのではないかというところにたどり着きました。自分の頭で考える高校生の前で、猛烈サラリーマン世代は冷や汗が出つつも頼もしく思えました。 消費社会は成熟し、「何が何でも売ればよい」と考えている人を見抜けない消費者はもういませんし、今時の高校生は、客観的に見ることと自分の頭で考えることを上手に促されています。ですから、対等で理知的なコミュニケーションが成立します。 私が社会に出た頃、営業職は “普通の人”がカリスマのやり方に惑わされて、盲目的で、持てる力を発揮できずに半年で退職するのも当たり前でした。企業は、それを見越して大量採用していました。若い人が身の丈に合った相手に対して誠意のあるやり方で実践すれば、通じたはずです。トップセールスマンの属人的過ぎる技を全員が真似ようとするのでなく、次第に経験を積み、お客様が欲する情報を提供し、お客様の良き相談相手になることに集中せよと教えれば、成果を出せる人がたくさんいたと思います。一部のトップセールスマンは“個人商店”でよかったのです。“外向的で、酒が強くてゴルフが大好きで、他人と付き合うことが得意といった「優秀な体育会系出身」”を振る舞う必要などなかったのではないでしょうか。寡黙で酒・ゴルフが苦手でも、優秀な人材はいくらでもいます。営業職に限らず求められる能力の本質は、そんなことばかりではないはずです。 かくいう私の来し方は、今の高校生の前では「恥ずかしくて眼も当てられない」ような思い込み一直線の場面の方が圧倒的に多かったというのが正直なところです。「思考停止はよくない」「逃げてはいけない」といつも自分を追い詰めていましが、本当の頭の中は、常に理性と欲望がせめぎあって、どちらかがちょっとだけ勝ったり負けたりしていました。しかし、それが生身の人間の生きるということではないかとその度に自分をなだめていたのです。「なぜ今、大衆社会論」と訝しく思って読み始めたのですが、鋭く抉られた理論でした。
校長ブログ · 2019/07/21
生徒たちの様々な側面を知るにつけ、世代が離れていても、この子はすごいなぁ、人としての出来栄えが違うなぁと感じさせられることがよくあります。...

さらに表示する