NYCAブログ

NYCAブログ · 2020/09/23
 日本では、高校生が大学受験学習を始める時、まず文理選択、そして学部・学科選択へと進んでいきます。「文系、理系」という分け方は、仕事上でも私的な日常会話でもされます。一方で、「グローバルな視点からは文系・理系という区分にはあまり意味がない」とか「リベラルアーツの時代に文系・理系の分類は不毛だ」という声もあります。それを反映してか、昨今、学部名だけでは、文理どちらなのかが、わからないネーミングもあります。入試でも教科横断型や文理融合型の問題が、目立ちます。  文系教師だった私は、仲間との議論の最中に理系教師の観点に驚くことが頻繁にありました。私は、論理的に答えを出すべき時に、情緒や感性に支配されることが多く、無駄に時間を費やしていました。これは、私個人による文系頭の偏りです。ですから、「グローバルに活躍できる理系人材の育成」などと要望されると「餅は餅屋に」と、逃げていました。私には、文系・理系どちらかに自分を位置付けた方が、人生は前進しやすいという思い込みがあり、専門性を武器に強みを発揮して戦えば良いと思ってきました。とは言いつつ、芸大卒の理科教師や理数科出身の音楽教師の友人を心底、うらやましく思って見てきました(なんにせよないものねだりですが)。ですから、教師になった時、小学生の受験算数の質問にも冷や汗やあぶら汗をかきながら必死に対応しました。子どもたちが、どちらにもシフトできれば、鬼に金棒だと思いました。幅広く学部・学科を視野に入れて選択したいのであれば、数学を避けるのは得策ではありません。例えば、経済学部は文系の学部ですが、学ぶ上では数学を多用します。理論経済学は数理的に分析していく学問であり、国民所得や失業率などを対象に国全体での経済を考えたりします。経営学では、会計も学びますから、どう考えても数学が必要です。  もちろん、幅広くという捉え方ばかりでなく、やりたいこと好きなことという選択や、早い時期での職業選択により高い専門性のある学部に進む人もいます。そういう分野には医学部、歯学部、薬学部のような職業直結型の学部もありますし、逆に好んで専門に学んだことが、職業に直接結びつかないことが多い文学部のような学部もあります。ところで、大学で学んだことが役に立つとか立たないとかの議論において、度々、矢面に立つ文系の極致、文学部は、どうなのでしょうか。学校で学んだことが役に立つとか立たないとかにこだわる高校生に「文学部で学んだことは何の役に立つのですか」と問われたら、何と答えてやれば良いのでしょう。私は、「日本人とは」「人間とは」を学ぶことに繋がるのではないかと考えています。産学連携と言われる今回の教育改革を含めても大学の社会的責務が、企業が求める人材の育成のみであるはずがありません。この質問を正面から受け止めて、しっかり考え、その学部を志望する生徒に丁寧に説明することが大切です。理系学問のような有用性ではなく、長期的に役に立つ「人を知るための学問」だということを飽きずに説いていこうと思います。コンピュータやAIが進化すれば、むしろ、純粋な文学部の意義が高まっていく可能性さえあるのではないかとも思います(限りなく少数派かもしれませんが)。「文学部は就職しづらい」「どれほど役に立つのかわからない」などというのではなく、追究した学問が、自らを救うものかもしれないのです。近視眼的な見地から受験科目を早くに絞り込むのではなく、しっかり数学に取り組んだ上で、学部を選択しても、道はちゃんとあるはずです。私は、自虐しつつも、これまでに何度も算数のテキストと格闘してきています。
NYCAブログ · 2020/09/12
日本の公立高校は、現在は一部の地域を除き、大部分が共学となっています。私立高校も、共学化の傾向にあります。私は、男女別学が、減っていくのは、とても残念に思います。中学受験においては、別学の選択肢がたくさんありますから、男子校・女子校をまったく選択肢から外すのはもったいないと思います。男子校・女子校には伝統校が多く、独自の校風や文化があります。男子・女子それぞれの伸ばし方についてもノウハウが蓄積されています。また、別学の中高一貫校には、進学実績を見ると特長的な成果があります。東大合格者数2020年のトップ10は、1位 開成(男子)、2位 筑波大附属駒場(男子)、3位 桜蔭(女子)、4位 灘(男子)、5位 渋谷幕張(男子)、6位 駒場東邦(男子)、同 麻布(男子)、8位 聖光学院(男子)、9位 海城(男子)、10位 栄光学園(男子) と全て別学で9校が私学です。男子校の占有率の高さは、強烈なインパクトがあります。2019年、2018年もやはり、上位10校中8校以上が私学で別学という結果が出ています。男女を同じやり方で指導したら伸びない男子がいるということかもしれません。男女を集団として指導する時、やはり傾向としての差が現れるのではないかと思います。中学受験の国語指導でも物語文の読解などでは、女子は行間に込められた感情を読み取ることができますが、男子はそれが苦手です。男子と女子の異なる成長スピードに合わせた方が良いように思うのはこういう時です。10代前半の男子というのは精神面で圧倒的に女子より成長が遅れているので、この時期に、そういったギャップから解放されて学校生活を送ることは意義があると思います。特にコミュニケーション能力や自己表現力に差が大きく、そのため、公立中ですと内申点の上位者は多くが女子ということもあり得ます。大学生ぐらいの年齢になれば、自己が確立し、異性の特性も認められるようになっているので、共学か別学かで人格形成や学力向上にはさほど影響を受けることもなくなるないのではないかと思います。個々の特性次第ですから、どちらがいいとは一概には言えませんし、思春期は共学で過ごす方が良いと考えるのが、自然かもしれませんが、一考の余地はあるように思います。私は、中高一貫の女子校から系列の女子大学に進学した娘を見ていて、その選択についてはとても満足しました。交友関係に恵まれたことを特に嬉しく思っています。ここでは書ききれませんが、学校の理念や校風は大切であることも実感しました。 現代社会においては、既存のジェンダー意識にとらわれない考え方が大事になっています。女子校は、性別にとらわれないキャリアをイメージできるという良さがあります。女子校は時代が求める女性像、一歩先を行く女性像を実現してきたのではないでしょうか。明治時代までは、男性が教育を独占し、女性には教育の機会が与えられていませんでした。その後、良妻賢母になるための教育が導入されましたが、男子への教育内容とは大きく隔たりがありました。女性の権利運動が進展すると、それまで女性が進出できていなかった分野へ女性を輩出するための女子校が設立され始めました。どこも設立の理由として、女性の社会的地位の向上があったはずです。経済的能力を身につけるためには、バイアスのない環境で、文系、理系問わず学ぶことや、リーダーシップを育むことが必要でした。日本では現在、共学化は「男女平等社会を形成するため」に進められています。しかし、共学化が必ずしもその目的と合致しているようには感じません。中高を共学化することは、多様性の観点からも疑問を感じます。女性の社会進出を支持するための女子校の存在は、実にわかりやすくて良いように思います。
NYCAブログ · 2020/08/12
体育とスポーツは、それぞれ目的が違います。体育は、体験です。実践して体得することであり、教育の基本である三育(知育、徳育、体育)の一つとして大変重要なものです。ここでは詳しく述べませんが三育という捉え方は「スペンサーの教育論」として明治時代から伝承され、特に体育は、この論を導入した時から重んじられているからこそ、小学校から大学まで指導されています(・・と私は教えられたのであってスペンサーの原著を読んだわけではありませんが)。 体育の教育目的は、スポーツと違って勝敗とは別の次元にあります。スポーツは、たいていの場合、勝敗を目的にします。勝敗への拘泥については否定的な意見もありますが、勝利を目的にするからこそ、チームワーク、責任感、忍耐力、友情を経験により体得することができますし、勝って泣き、負けて泣く姿は見る人の感動を呼びます。また、スポーツにおいてはプロとアマでは、勝敗の意義が異なります。プロスポーツの目的は、営利ですから必然的に勝敗にこだわります。勝敗を度外視して楽しむことはできても、プレイヤーは、勝つことを目的にするからこそ切磋琢磨するように思います。アマチュアは、勝敗よりも名誉を重んじるのではないでしょうか。アマチュア競技では、観戦者が何と解釈しようが勝敗の意義は、選手達の成長のためにあるのでしょう。 子どもたちは小中学校の体育の授業で、文字通り「体験」し、興味・関心を持った運動をさらに部活動で深く「体験」することができます。(運動)部活動での成果を体育の授業で活かすこともできます。さらに、(運動)部活動は、自主的に自分の好きなスポーツに参加することにより、将来的にそれを楽しむことができます。ここから、体育がスポーツに繋がっていくのでしょうか。 さて、スポーツ教育の大きな成果にスポーツマンシップがあります。誇り高さや公正を求める精神は、気高さを感じさせます。まるで、人間はいかに生きるべきか、どうあるべきか、何が公正であるかを学ぶことのように思われます。スポーツには社会性としても大きな成果物があります。それは、決断力です。決断力は、社会的な責任を果たすために、不可欠な要素です。知育で身につけられるものではありません。肉体と精神の訓練によって磨かれていくものです。決断力は、決断することでしか磨かれません。団体競技では、決断を連続的に迫られます。プレイヤーは、局面ごとに可能な限り短時間で決断を下さなくてはなりません。スポーツは、意思決定を効率よく身につけさせてくれます。一流の試合をTV観戦した時、プレイヤーの決断に至るプロセスの解説を聞くと面白味は倍増し、素人見の浅はかさが吹き飛ぶことがあります。 スポーツを教育として捉えれば、名誉、忍耐、自制心、勇気、平等、キャプテンシー、技能(特に、厳しい修練の賜物としての)などたくさんの成果がありますし、社会性の育成にも大きく寄与します。 プレイヤーは、一度競技が始まったら、長考することができません。プレーに専念するしかありませんから、準備がものを言います。そして勝てるチーム、強いチームを作るためには、強いリーダーが必要で、リーダーシップを発揮することが欠かせません。また、メンバー全員が練習や試合を通じてチーム・組織のあり方を学んでいきます。スポーツには、プレッシャーとの戦いという競技自体の鍛錬とは別の要素もあります。スポーツにはその部分で、たくさんの名言があります。 私は、「練習は本番のように、本番は練習のように」という言葉が好きです。 私は、プレッシャーに弱いからです。
NYCAブログ · 2020/08/04
サッカー元日本代表の本田圭佑さんが、オンラインスクールを立ち上げたというニュースが先月(2020年7月)にありました。これまでも本田圭佑さんは、現役サッカー選手と並行して、サッカースクールの運営や投資家としても知られていましたが、今回は、教育界に参入されるというニュースでした。...
NYCAブログ · 2020/07/29
今年、日本のNHK大河ドラマでは、“麒麟が来る”(明智光秀の視点から戦国時代の日本を描いた作品)が放映されています。どのような歴史小説も歴史映画も、誰を軸にして描くかで全く異なる世界を見せてくれるところが興味深いです。...
NYCAブログ · 2020/07/09
少し前まで、「世界はこれからグローバリゼーションが進む、ヒト・モノ・カネの流れがますます加速する」と言われていました。世界はグローバリゼーションを成長のエンジンにしてきました。日本では、2020東京オリンピックを契機に振興策も練られていました。しかし、COVID-19で世界は一変し、グローバリゼーションの「負の側面」を見せつけられたようにも感じられました。 私たちの日常は大きく変わりました。 ところで、経済は大きく後退しましたが、変化そのものには「負」があるわけではありません。テレワーク(リモートワーク)、テレビ会議、オンラインショッピング、テイクアウトなどの需要が急上昇しました。衛生意識も向上しました。働き方も消費スタイルも、大きく変革されつつあります。 オンライン教育を導入する教育機関も間違いなく増加しました。地域や経済状況に影響されない公平な教育機会が提供されていく期待感があります。移動時間が短縮できることで得られるものもあるはずです。 但し、今回の災禍で学校が長期休校になり世界中の子どもたちは、本当に割りを食ってしまいました。学校に行けない、友達と会えない、スポーツは、することも観戦もできないなど、大きなストレスだったと思います。 それでも、状況を嘆くだけの受け身ではなく、日常の生活で、問題解決能力を磨く機会とすることが、これからは、大切だと知ることができました。「家の中での新たな時間の使い方を考える、あるいは見直してみる」、「新たな学習方法にチャレンジしてみる」、「自分の生活習慣を大きく変える」など状況により柔軟に思考も行動も変えていけるかを問う機会でした。 グローバル化が突きつけている課題をも含めて、グローバリゼーションでなければなりません。これで世界の交流が止まるわけではありません。また、世界中が同じ災難に見舞われた時、人は強く母国を意識するのではないでしょうか。その時、自分たちの国はどうかと、あらためて考えるようになります。「今、日本(世界)はどんな問題に直面しているのか」「するべきことは何か」などについて、自分の頭で考えたり、賛成と反対の両方の意見に接したりすることも大切です。 グローバリゼーションが進まなければ、国境を越えて起こる問題を解決することができません。自国を第一に考える政治家がいることは当然のことですが、地球規模の問題を抱えている現代社会では、多くの国が手を取り合うべきですし、そのためには国を越えて交流したほうが、解決に近づくでしょう。経済的なことばかりでなく、様々に発展するメリットもあるに違いありません。それぞれに確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になることがグローバル人材だと思います。
NYCAブログ · 2020/06/11
塾はあくまでも学校教育を補完するという立場であると自覚しています。塾では、予習スタイルであろうが復習スタイルであろうが、学校での授業進度が基準ですし、教科書を無視して指導することもありません。難関校に進学しようとする子どもの多くが塾に通っていますが、中学受験を除けば、塾に通わずに合格する子どももいます。学校が...
NYCAブログ · 2020/05/29
新型コロナウイルスによる長期間の休校という未曽有の事態を体験して、子どもたちの学びは新しいスタイルが定着しようとしています。オンライン授業を体験して、あるいは体験する我が子の姿を見て、これまで通りのやり方を希望する人も、そうではない人も授業の受け方を自分たちの頭で考える最大の好機になりました。...
NYCAブログ · 2020/05/10
コロナ禍においては、様々な業種が各社独自のオンライン化の取り組みを行いました。教育業界も授業も録画済みのものを配信するだけではなく生放送での集団授業を提供するところも増えました。学校が休校のさなかにあっても、新たな学びに触れる子どもたちが増えています。進学塾では今後、オンライン教育の最適化が進んでいくのかも知れません。生徒にとっては自分の部屋で落ち着いて勉強ができますし、保護者にとっても送迎の負担がないのは嬉しいことです。 すべての生徒が完璧に満足する授業形式を行うことは難しいとしても、いろんな選択肢があるということが良いのだと思います。いずれにしても、教育は、何があっても立ち往生してしまわないようにしなければいけません。過去に経験したことのないレベルでの、自粛要請に、私たちは直ちに最適な対応を行うことはとても難しく感じましたが、できる範囲でより良い対策を模索しました。 結果的には時代の変化に合わせたのではなく、危機管理としての新しい授業スタイルの構築と捉えています。 また、生徒自身にとっては、子どもの時から自国の将来や世界の未来に危機感を持つがゆえに「世界を舞台に活躍したい」というマインドが養成され、世界のどこへ行っても生きていける力のある人材が輩出されるようになることを期待できます。 高学歴を得ることや世間からの評価のために学ぶのではなく、真のエリートとして、国際的な危機感に基づいて勉強するというのも素晴らしく大きな動機です。 コロナウィルス禍はそのことを私たちに強烈に突きつけてきているのかもしれません。しかし、問題解決力は問題が起きて初めて発揮する能力です。大人も子どもも、結束して、みんなで乗り越えるべき試練です。
NYCAブログ · 2020/03/24
コロナウィルス感染の拡大で、グローバル化の進展は逆回転しています。これを書いている3月23日現在、世界各国が感染を防ぐために海外からの渡航を制限し始めました。経済に与える影響を考えたとき感染が長期化すればするほど、深刻な影響と混乱が生じることになります。...

さらに表示する